風尾瞬の雑記帳

ほぼ、記録を置いてあるだけの場所

無くなる、境界線

最近、プロとアマの境目ってのが、希薄になってる気がする。
TYPE MOON同人活動を経て、商業活動へ進んだ、「ある意味」勝ち組。成功者。
ここだけに限らず、同人活動から商業活動へ進んだ、ライター、絵描き、ミュージシャンetc...
その数は数知れず。
今日も、どこかで、さっきまで「アマチュア」と呼ばれていた人たちが、「プロ」になってるのかもしれない。


「最近は、門戸が開かれて、チャレンジが容易になった。」
そんな情勢を見て、友人は言った言葉。
でも、それについて、俺は違うんじゃないかと思った。


そこには、いろいろな要因があるのだと思う。
たった一言で片付けることはできないと思ったから、
友人に直接語る代わりに、ここへぶっちゃけてみようと思った。

マチュアのプロ化

最近は、技術の発達+コストダウンで、昔はプロが百数十万も出して使っていた機械が、数万円から数十万円で購入できるようになった。
これによって、プロの装備は、プロだけじゃなくて、アマチュアでも使えるようになる。
道具が一緒ならば、技術なんてのは磨いたもの勝ち。
マチュアでも、プロの技術が使えるようになった。
逆に、プロをプロたらしめるものから、その技術が無くなったと言うこと。

情報発信の簡易化、情報受信の簡易化

携帯だぁ、インターネットだぁ、ブログだぁって、ここ数年の情報技術の発達には、目を見張る。
誰でも簡単に情報発信ができるようになっていくし、誰でも簡単に情報を受信することができるようになった。
昔、多く他人の目に触れさせるためには、いっぱい広告打って、商業的に活動するしかなかった。


古の文豪と呼ばれる人たちだって、歌人と呼ばれる人達だって、自費で本を出版したり、仲間内での会報から、雑誌を作って売ったりしていた。とてもすごい労力を掛けて。
それが、今は3分で情報発信ができる。
一部の人間が財力と苦労を掛けてやったことが、誰でも簡単に安く(時にはタダで)できるわけだ。


観てもらう大変さは、今も昔も変わらないだろう。
でも、「発信する」ことができれば、きっと誰かに観てもらえる。
俺の、この文章を、アナタが読んでいるように。

使い捨て社会

何かと問題にされる、使い捨て風習。これが一番大きい要因なんだと思う。
とりあえず使ってみて、ダメだったら捨てればいい。
プロにも、そういう風潮が広がってる気がするのだ。
「とりあえず、メジャーデビューさせてみよう。ヒットの一本でも出れば、元は取れる」
そんな考え。


もともとプロ並の実力を持っているわけだから、ある程度は使える。
それでもダメだったら、次を探せば良いって話。
昔は、一人のプロを育てるのに、時間もお金も掛かった。
原石を見つけては、気の遠くなるような研磨に時間を費やす。
それでも、モノになるのは一握り。
それがどうか。現代は、ある程度磨かれた石が落ちている。
しかも、雨後の竹の子のように、そこら辺からでてるわけだ。
磨く手間も掛かっていないから、捨てるのも簡単。
つまり、プロも使い捨て。

つまり、今のプロ基準

自分で技術を磨いて、目立つところに居ればいい。
運がよければ、情報の波をかきわけて、目をつけた人が、プロへの道を開いてくれる。
その後、ずーっとプロで居たかったら、努力して身につけろ、高みを目指せってこと。
マチュアに毛の生えた程度のプロなら、直ぐにでも代わりには居るのだから。

それでも変わらないプロ

物を作るプロは、ある程度育った状態で簡単に手に入る。
生き残るためには、代わりの居ない存在にならきゃダメなんだ。
きっと、この人たちは、昔と変わらないままで、今も代わりは居ないだろう。


物を探すプロ
いくら、情報が公開されていても、それを見つけられなかったら意味がない。
情報が、多いから、多すぎるから、埋もれてしまってる本当の情報がある。
そんなのを見つけるプロは、今も昔も、これからも変わらないんだろう。
いくら使い捨てとはいえ、元手が昔ほどかかっていないとはいえ、
片っ端から目に付くものを相手にしてたら、きっと、どれだけあっても持たないだろう。
だから、あふれる情報から、本物を探すプロは、コレだけは、きっと変わらない。


ここまで書いて、俺はプロにはなれないと、そう思った。
でも、何か仕事して飯を食ってるので・・・そっちでは、一応、プロなんですよ?
代わりは山ほど居そうなんだけど・・・