風尾瞬の雑記帳

ほぼ、記録を置いてあるだけの場所

昔のあだ名を思い出していたら、昔の自分の夢も思い出した。
将来自分がなりたい夢・・・興味のある人はいないかもしれないけど、折角思い出したんだ。
懐かしい思いに浸りながら、筆を進めてみよう。


・・・あれ?これはパソコンだから筆なんて無いぞ?「キーを進める」・・・何か変だ。
そうか、「キーを叩く」が正解になるんだ・・・きっと。でも、かっこ悪いなぁ(苦笑)


幼稚園の頃

あれは、何のときだっただろうか?
初めて「自分のなりたいもの描け」といわれた覚えがある。
ああ、そうだ。幼稚園の七夕イベントのときだ。
駅近くの商店街に、七夕の飾りつけとしてでっかい短冊を下げるから、そこに「願いを描く」ように言われたんだ。
その時「無くしたおもちゃの部品が見つかるように」と下書きを書いたら、先生にこっぴどく叱られた。
それで「自分のなりたいものを描くんだ」と居残り的に考えさせられたんだよな。
それが初めて将来自分がなりたい職業を考えた時だったか。
そのとき描いたのは「おもちゃ屋さん」。
おもちゃが好きだからって理由だけで書いた覚えがある。
未だにその夢がかなったことは無いが、中学生の頃に入り浸ってたおもちゃ屋さんで、店員の真似事−商品の案内だけだが*1−をやったんだ。

幼稚園より前

なりたい職業ってわけじゃないけど、ちょっと思い出した。
おもちゃ屋さんになりたい」って言う前は「いつか自分が乗れる巨大ロボットを作るんだ」って思ってた。
そのために、近所のスクラップ置き場から、ネジとか車の部品のガラクタを拾ってきてた覚えがある。
あの頃は、そのガラクタを集めれば、いつか大きなロボットが作れると信じていた。
そういえば、あのガラクタ達はどうしたのだろう?
ラクタを拾ってきても怒ることをしなかった両親だけど、きっとこっそり捨てていたに違いない。
今思い出すと、子供の夢を否定せずに育ててくれた両親に感謝したいと思う。
あ、ヤベ・・・ちょっと涙ぐんできた。

小学校時代

この頃は特に考えてなかったと思う。
ただ「おもちゃ屋さん」と「巨大ロボット」の夢は捨ててなかったんじゃないかな。だから・・・。
「パソコンクラブ」に入ったときに「コンピューターを知れば、ロボットを作るのに近づけるのではないか」って考えた覚えがあるから。


あ、そうだ。
小学校4年生ぐらいのときに新谷かおる先生の「ファントム無頼」を読んで飛行機パイロットになりたいと思ったんだ。
でも「視力が悪いとパイロットになれない」と父親に言われて、直ぐに諦めた。
だって、その頃には既に眼鏡がないと生活できないようになっていたから。

中学校時代

小学校でパソコンに興味をもった俺は、そのまま「パソコン部」に入った。
そこで出会った友人に影響を受けて「ゲームプログラマーになりたい」と思うようになったんだったな。
当時から、人の影響でそんなこと考えてていいのかな?って思ってた。今も時々思う。
でも、他人の影響でもその後歩いた道は自分の道だ。恥じる必要なんて無いんだと思う。
ただ、きっかけが他の人だった・・・それだけなんだから。


この頃、電子工作に興味を持って始めたのはきっとどこかに「巨大ロボットの夢」が眠ってたからじゃないかと思う。
それがかなり後々の役にたったんだけど・・・これは別の話で。

高校時代

幸いにも地元の高校にプログラム関係の学科があったために進学。
そこでプログラムのことをたくさん勉強して、東京にあるゲームクリエーターの専門学校へ進もうと考えていたのは入学前の話。
入学前に母親がどこからか仕入れてきた情報「この学校で勉強すると、専門学校でやるぐらいのことはできちゃうよ」って話。
この話を聞いて、正直進路を迷った。
後は、クラスメイトに「たかぼー」と呼ばれてる、既に何本もゲームを作ってる人が居て驚いた。
他にも何人かのクラスメイトは、自分で勉強してゲームを作っていたんだよね。
正直、自分は敵わないと思って、ゲームプログラマーを諦めたのもこの頃。


最初は進学で考えていたけど、あるとき考えた。たしか2年になるぐらいのときだったと思う。
「俺の学力じゃ、大した大学に行けない。それじゃ就職も大変だろう。だったら、この学校の地元知名度を利用して就職した方が良いんじゃないか。」
「俺は、机にかじりついて勉強するよりも、社会にでて勉強するんだ。」
なんとも打算的な考えだけど、親はあっさりと承認した。
その後、ライン工程で働く自分が想像できなかったから、好きなプログラム関係で進路を探した。


一時期、演劇で食って行きたいって考えたことや、教師になって母校へ帰って、演劇部の顧問をやりたいって考えたこともあった。

社会人時代

中学校からの夢「プログラマーになる」って部分は叶えられた。
でも、自分でゲームを作りたくて、関連する本は結構買っていた。
今でも何冊か手元に残ってる。古くて役にたたないのに・・・
まぁ、理論だけは使えるからアリだろ?


一度だけ、友人達で集まってゲームを作ろうって話になった。
俺がプログラム担当。
でも「ひとりじゃやりきれないから、もう2人ぐらい用意したい。プログラムを覚えて欲しい。」といってる間に企画は流れた。
結構シナリオとかは進んでたんだけどなぁ・・・


でも、ゲームを作りたいって部分は変わってないらしい。
だって、今はTRPGを通してシナリオを作ってるし、オリジナルのシステムを考えたりもしてる。
結局、自分は物を作るのが好きなんだなと、改めて実感した。


*1:当時の自分は、おもちゃ屋の店員よりおもちゃに詳しかった。